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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)13539号 判決

(1)昭和四三年(ワ)第一三五三九号事件原告 石神久男

(2)同年(ワ)第一三五四〇号事件原告 田中英治

(3)同年(ワ)第一三五四一号事件原告 田中実

右三名訴訟代理人弁護士 西田健

同 後藤孝典

(1)ないし(3)事件被告兼被告金子幸子法定代理人親権者母 金子リツ

(1)ないし(3)事件被告兼被告金子幸子法定代理人親権者父 金子常太郎

(1)ないし(3)事件被告 金子幸子

右三名訴訟代理人弁護士 富川寅次郎

主文

一、別紙債権目録記載の各定期預金債権のそれぞれについて、(1)事件原告石神久男が二分の一の、(2)事件原告田中英治及び(3)事件原告田中実がいずれも六分の一づつの、各持分を有することを確認する。

二、訴訟費用は、(1)ないし(3)事件を通じて被告らの負担とする。

事実

原告ら三名訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、請求の原因として、

一、別紙債権目録記載の合計七口の定期預金(以下これらを一括して本件定期預金という)債権は、(1)事件原告石神久男(以下原告石神という)の内妻であった訴外田中ツキの生前においては同女と原告石神の準共有であったが、同女が昭和四三年二月四日に死亡した後は、その同胞である(2)事件原告田中英治(以下原告英治という)、(3)事件原告田中実(以下原告実という)及び(1)ないし(3)事件被告金子リツ(以下被告リツという)の三名だけを共同相続人として、田中ツキの右共有持分二分の一について相続が開始したので、結局原告石神が二分の一、原告英治、同実及び原告リツがそれぞれ六分の一づつの各持分を有することとなった。

二、尤も、本件定期預金の預金名義は、別紙債権目録によっても明かなとおり、金子利津子、金子理津子、金子常太郎、金子幸子となっていて、原告石神や田中ツキの名義にはなっていない。それにも拘らず原告らがこれらを原告石神と田中ツキの準共有であったと主張するのは次の理由による。即ち、原告石神は、昭和三三年四月ごろ田中ツキと内縁関係に入って以来、東京都北区稲付町三丁目一〇番地において同女と共同で飲食店「八千代」を経営していた。この飲食店経営における両者の役割は、田中ツキが専ら客の接待に当り、原告石神が材料の仕入、調理のほか一般の支払を含む税金、銀行関係などの経理一切を担当、処理して来た。そして、その収益金が相当額まで累積するごとに原告石神又は田中ツキ名義で銀行に定期預金をしていた。かくするうち、同原告とツキとは、同一人名義の預金額が法定額をこえると非課税の優遇措置を受けられなくなるということを知ったため、税金対策として便宜上他人名義を使用することとして、一部について被告リツの本名やこれに類した金子利津子又は金子理津子の名義を用い、その後は、被告リツの夫である被告金子常太郎(以下、被告常太郎という。)及び両名の娘である被告金子幸子(以下被告幸子という。)の名義を使用して定期預金をするようになった。本件定期預金は原告石神と田中ツキとがこのような意味合いでしたものである。従って、別紙債権目録記載の各定期預金債権は田中ツキの生前はいずれも同女と原告石神の準共有財産であったといわなければならない。

三、ところが、被告常太郎と同リツとは田中ツキの死亡直後、原告石神が保管していた本件定期預金の証書七通と定期預金のため銀行に届出してある印鑑(右七通に共通)を無断で持出したうえ、右定期預金の名義が被告幸太郎、被告幸子又は金子利津子或は金子理津子となっているのを奇貨として、被告らにその権利が帰属する旨主張している。

四、よって原告らは、本件定期預金債権の二分の一は原告石神に、その六分の一づゝは原告英治および原告実にそれぞれ帰属していることの確認を求める。

と述べた。

証拠〈省略〉。

被告ら三名訴訟代理人は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は(1)ないし(3)事件を通じて原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、請求原因事実のうち、田中ツキが生前東京都北区稲付町三丁目一〇番地において飲食店「八千代」を経営していたこと、同女が昭和四三年二月四日に死亡したこと、その兄弟姉妹である原告英治、同実および金子リツの三名が田中ツキの遺産を共同相続したことおよび被告らが本件定期預金のうち別紙債権目録第一欄記載の三口を被告リツの、同第二欄記載の二口を被告常太郎の、同第三欄記載の二口を被告幸子の各帰属債権であると主張していることは認めるが、その余の事実は否認する。田中ツキは、原告石神と同居してはいたが、原告石神が不信行為を重ねていたため同人を信頼しきれずに過し、右飲食店の営業にも関与させず、現金等の取扱を含む営業の一切を単独で処理していた。従って、同店の売上金は田中ツキひとりの固有財産であった。しかるところ同女は、原告石神を信頼できないため、被告常太郎、同リツ夫妻を頼りにしており、万一自分が病気で寝ついたときには被告夫妻に看護をうけ世話になりたい気持と被告リツが結婚前田中ツキ方で手伝いとして働いていたことに対する報酬の意味もあって、被告らに贈与するため被告らの名義で定期預金をしていた。このことは、事前に田中ツキから被告らに打明けられ、被告らも諒承していたことである。本件定期預金はこのような趣旨のものであるから、預金の当初からそれぞれの名義に従って被告らに帰属していたものに外ならない。なお、本件定期預金のうち、別紙債権目録記載のイ、ロ、ニ、ヘ、トの五通の証書は昭和四二年の八月ごろに、ハ及びホの二通の証書は昭和四三年二月一日にいずれも田中ツキ自身から被告リツが交付を受けたのである。と述べた。

証拠〈省略〉。

理由

本件定期預金の預入資金について、飲食店「八千代」の売上収益金であったというのが原告らの説明であり、被告らもこの説明を明かには争っていないので、この点を原告ら説明どおりのものであるとの前提で判断を進めることにする。

まず、原告らが、右の収益金、従って本件定期預金債権は原告石神と亡田中ツキとの共同経営から生じた両名の準共有財産であったと主張するのに対し、被告らは、この店がツキの単独経営であったから収益金も同女ひとりのものであったとした上で、被告らに対する贈与の趣旨でツキが本件定期預金をしたのであると主張しているので、これらの点について一括して判断する。〈証拠〉を綜合すれば、

(1)  右の「八千代」なる屋号の飲食店(ないしは小料理店)は、昭和二六年から昭和二八年頃までの時点で、亡田中ツキが独力で開業した店であること、

(2)  一方原告石神は、その当時警視庁荒川警察署に勤務し、妻けいとその間に出生した二人の息子をかかえる身であったが、けいと不仲になっており、「八千代」開店の際にも顔を出し、時折ツキ方に宿泊して翌朝同警察署に出勤をするような状態を重ねた後、昭和二九年七月頃に警視庁を退職し、けいともはっきりと別居して二人の息子と共にツキ方に同居するようになり、遅くも昭和三三年四月頃までの間にツキと婚姻約束を取交して内縁関係に入り、けいとは昭和三四年四月頃に協議の上正式に離婚したこと、

(3)  原告石神が同居してからもツキが「八千代」の営業主であることに変りはなかったが(甲第六号証)、その実際面ではツキは専ら客の接待役にまわり、原告石神が材料の買出しと仕入の外、間もなく調理士の資格も取得して調理関係を専任し、金銭の出納管理は両者が時に応じて分担していたが、右のごとき経緯による内縁関係であったにせよ、ともかくも夫であるという立場と以上のような役割の遂行、それにツキが接客中の飲酒で酩酊しがちであったことからして、経理の実権は結局石神が徐々に掌握するに至っていたこと、

(4)  本件の平和相互銀行が赤羽支店に対して、最初は原告石神や田中ツキの名義で預金がなされていたが、昭和三八年の五、六月頃、右両名は同一人名義の預金額が五〇万円をこえると利子に対する非課税の優遇措置を受けられなくなるということを知ったため、両名の財産保全と利殖の目的で、その頃から金子リツ、同理津子、同利津子、同常太郎、同幸子などの名義で、定期預金をするようになったこと、

(5)  金子名義の右預金、即ち本件定期預金をするのに際して用いられた印章は、原告石神もしくはツキが調達した市販の認印であり、その証書もツキが昭和四三年二月に他界するまで終始ツキと原告石神が両名と訴外田中タキ子名義の証書等と共に保管していたこと、

(6)  原告石神は、本件の被告らを除くツキの兄弟や甥姪とよく親和しており、ツキも原告石神の連子二人との折合が良く、二男忠重に店をつがせるのを楽しみにしていた程であって、原告石神に不信の念をいだいていたような事情はなかったこと。

(7)  ところが、被告らとの関係では、ツキが成田山の不動尊を信仰していたのに対し、被告リツ夫妻が本門仏立宗なる宗派の熱心な信者であったことなどから、両者の折合が必ずしも良好ではなく、強い反目状態すら時折みられたこと、

(8)  本件定期預金の証書七通とこの届出印鑑は、現在被告らの手中にあるが、ツキが昭和四三年一月三一日に入院してから原告石神の不在中に被告リツが「八千代」の店舗兼居宅内から無断で持出したものであること、

以上の各事実を認めることができる。〈証拠〉中、右に反する部分、更に進んで、本件定期預金はツキが被告らに対する贈与の趣旨でしたとの被告らの主張に副う供述部分は前掲の各証拠に対応してたやすく措信しがたく、他にこの認定を左右し、或いは右の主張を裏付ける証拠はない。

右の認定事実からすれば、「八千代」が名義上と当初資本の点からはツキ単独の営業であったと見るの外ないが、実質的にはツキと原告石神の共同経営というのに近く、更にこの経営形態の点を不問にしたとしても、同原告の寄与、貢献の度合が単なる補助者とか手伝の域をはるかにこえた多大なものであることは明かであるから、少なくとも昭和三四年頃以降における商店の売上収益金は、原告ら主張のとおり、原告石神とツキの準共有財産であったと認めるのが相当であり、従って本件定期預金債権についても同様である。この推論を妨げる特段の事情は本件の場合見当らない。

次に、田中ツキが昭和四三年二月四日に死亡したこと、その相続人がいずれもツキの同胞たる原告英治、同実及び被告リツの三名だけであること、被告らが、本件定期預金債権のうち別紙債権目録記載イないしハが被告リツに、同二、ホが被告常太郎に、同ヘ、トが被告幸子にそれぞれ全部帰属するものであると主張していること、以上の事実は当事者間に争いがない。

右争いのない事実と先に判示した結論とからすれば、本件定期預金債権のうち六分の三が原告石神に、六分の一づつが原告英治と同実にそれぞれ帰属することが明かであり、被告らに対しこの趣旨の確認を求める原告らの請求はいずれも理由があるといわなければならない。

よって原告らの請求を正当として認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小林啓二)

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